脳出血発症1か月失語の状況

病院のスタッフさんに手伝っていただき

兄が何かを伝えようとしているのですが、分からず、作業療法士さんのリハビリの後、兄が何を訴えているのか理解するのを手伝っていただいているところです。

発症当初は、我々家族も失語症についての知識が乏しかったのと、言語について兄の中で起こっていることが分かりませんでした。

兄が書いた数字

このの頃は、弟や義姉が発語できないのであれば、紙に書いてもらったらどうかと試したこともありました。

弟が兄の携帯電話の暗証番号を聞いて、書いてもらったときの文字です。

紙に書かれていたのは数本のたどたどしい棒線でした。
兄もかけてないことに気づいて苦笑いしていたそうです。

失語1か月の文字

7月の面談の際の兄との会話

発症1ヵ月の頃は「近くの」「近くの」という言葉が多く、7月の面談の際に私が病院に行った時も、私の顔を見て「近くの」と言って、次の言葉が出ず不甲斐ない様子でした。

なんとかして、兄が言っていることを分かって、伝わったと安心させたい一心でした。

兄「近くの、駅の」

弟「病院の近くの駅?」

私「お兄ちゃんの家の近くの駅?」

私と弟で沢山聞き出しました。

そして、「私がどうやって来たのか聞きたいの?」と言うと、

「そう!」

と、大きく頷き、やっと伝わって安心し喜んでました。私も兄の言っていることが分かって、本当に嬉しかったです。

「今日は会社を休んで、新幹線で来て、弟の家に泊まるよ。明日も来るからね。」

と言うと、そうかそうか、とほっとしたような安堵した様子でした。

その前に義姉から届いたビデオにも「近くの」と言っていて、義姉が「なんだろう。」と困っていたので、

「分かったよ!」「近くの駅と言いたかったみたい」と義姉に報告しました。

分かってよかった、すっきりしたな。と弟に話しました。
弟は腑に落ちていない様子でしたが、私はこれからも、こんな風に分かってあげられるのだろう。
そんな風に楽観的に考えていました。

喜んだのも束の間

翌日、兄の元へ向かい、兄が私たちの顔を見て、また「近くの」と言いました。

もう一度「新幹線で来て弟の家に泊まった」ということを伝えました。

しかし、今度の「近くの」はその事では無かったのです。

深くて暗い穴に突き落とされたような、私たちと兄との間にとても大きな壁が立ちはだかったような気持になったのを覚えています。

兄はいろいろな言葉を「近くの」で発していたのです。

失語症の現実を突きつけられた日でした。

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました