2024年お正月弟と帰って来ました。
兄に会うのは3月以来の約9カ月振りでした。
思い出話に花を咲かせました
家族で昔の写真やビデオを見たり幼少の懐かしい思い出の話などしました。
主に弟や妹の私が思い出を話していたのですが、兄も途中思い出したことなどを言葉を絞り出すようにして話してくれました。
以前よりも大分会話について来ていることや話に参加する回数が増えたように感じました。
今でこそ仲のいい兄弟ですが、
兄の中学の頃の思春期はとっても尖っていて、弟においては目が合っただけで「何見てんだ!」と怒られたくらいでした。
その時期は妹の私は兄と関わることは少なかったです。
兄が丸くなり妹弟に優しくなったのは大学生になって一人暮らしを始めてからでした。
兄の弟の可愛がりようは、天と地をひっくり返したようでした。
弟は大学時代の兄のアパートへ遊びに行ったことがあり、弟を兄がバイト先の仲間に紹介したという話も聞いたことがあります。
一人暮らしを始めて母親のありがたみが分かったとも言っていたことがありました。
弟は大学を卒業し兄の後を追って同じ会社に入社しました。
弟が仕事でピンチの時、兄の力は大きかったです。
週末は弟とサウナにいったり飲みに行ったり、時にパチンコも行っていました。
弟の体調や私生活や私の仕事の悩みなど気に掛けてくれているようでした。
とにかく丸くなって仕事には全力で実績を残し自信もあったのではないかと思います。
動画を見ている様子に変化
脳出血を発症して入院している頃は携帯の操作も分からなくなっていましたし、
失語症のため動画を見ても何を言っているか分からないし、文字も読めないため携帯を触ろうとしませんでした。
半年の入院生活が終わってから携帯を触るようになりました。
動画を見るときは食事を食べている動画やパチンコの動画、同じ片麻痺の方や失語症の方の動画を観たり昭和の懐かしい曲を聴いたりしていました。
今回お正月に帰ってきた兄が見ていた動画は
討論番組やニュース番組でした。
討論番組は「ABEMA Prime」で複数人の方々が意見を言い合う番組です。
「何言っているか分かるの?」と聞くと「分かる」と熱心に聞いていました。
お正月に起きた能登半島地震の速報も心配そうに聞いていました。
話すことはまだ難しいですが聞き取る力がだいぶ戻って来ているように思いました。
父とオセロ
発症前、ゲームと名の付くものは大体特異な兄でした。
兄弟妹でトランプやテレビゲーム(桃鉄)など子供の頃していましたが、必ず兄の一人勝ちでした。
桃鉄ではカードを駆使されいつも負かされていました。
発症後初のオセロをしたらどんな感じになるのか、父と対戦しました。
頭を使って考えながらコマを置いていました。
四隅を兄は制覇する戦法に出たのか、四隅を取っていい勝負の結果、兄が僅差で勝ちました。
傍から見ていて、本人には気付かない程度に少しずつ少しずつですが、症状は固定されておらず回復していってると感じました。
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