3月19日(金)私のいる実家へに帰って来ました
弟が兄の家まで迎えに行き、一緒に最寄り駅より電車に乗り、新幹線にて私(妹)のいる実家に約5時間かけて帰って来ました。
久々の再会と、兄の娘からの手紙
「お疲れ~」
と出迎え、兄は笑顔で玄関に入ってきました。
発症してからまだ一度も会っていなかった父と顔を合わせて、言葉につまり黙って笑顔のまま目を少し赤くしていました。
入れ替わるように私は子供の送迎で家を後にしたのですが、数分後戻ってみると、何があったのか、兄が目を赤くして涙を拭いているようでした。
訳を尋ねると、兄の娘が書いた手紙を母が声に出して読んでいると、母が涙声になってしまい、それを聞いていた兄が感極まってしまったそうです。
その後も団らんを楽しみました。
父は初めて兄の失語の状況を目の当たりにして、「これでは本人は相当しんどいだろうなぁ。」と口にしていました。
カレンダーを書いて伝えたいことは
言いたいことを伝えるのがとても大変です。
兄は何かを伝えようと黒板の前に行き、4月1,2,3,と数字を書き始めました。
カレンダーを書こうとしていたので、カレンダーを見せると大笑いしました。
それから、4月18日から4月30日を囲み、「ここが無いのよ。」と言いました。
それからしばらく何が無いのか、みんなで色々言ってみましたが、どれもしっくりこないようで、結局分からないままでした。
その後、兄が手に付けている装具を見ると汗で濡れていました。
コメント
家族みんなで支えられていて、お兄さんの笑顔がとても素敵です。素晴らしいご家族ですね💮
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